以下関連リンク
沖縄ポッカコーポレーション
沖縄ポッカのさんぴん茶のCMが見れるサイト
ダイドードリンコ製品案内
丸政商事(JUSTICE)
コカコーラ茶流彩彩
さんぴん茶のシャーベット
比嘉製茶
朝吉茶行
ポークとたまご(沖縄食材通信販売)
わしたショップ(内地におけるさんぴん茶入手の基本)
(缶さんぴん茶の情報充実)
ちょっといい人
さんぴん茶ゼリー
さんぴん茶のいいちこ割り="ぴんちこ"
缶入りさんぴん茶始まりの話(琉球新報社説)
さんぴん茶同盟
自作さんぴん茶 プロジェクトX
(この物語は50%くらいのフィクションと50%くらいのノンフィクションで成り立っています) |
(エーックス)
長寿の島沖縄。 最近の健康ブーム、沖縄ブームにのり、 ゴーヤー、ウコン、もろみ酢・・・さまざまな沖縄の食材が今注目されている。 その沖縄で、昔から地元の人たちに親しまれている飲み物がある。 さんぴん茶。 沖縄のスーパーや自販機に並ぶさんぴん茶の多さに本土からの旅行者達は驚く。 だが、そのような光景が見られるようになったのはほんのつい最近のことである。 これは、冷たい缶入りさんぴん茶を作った男たちの物語である。
(地上の星)
(タイトル)
♪風の中のすばる〜 砂〜 「沖縄に赴任」 「たった1人の事務所からのスタート」
♪みんな〜 見送られる〜 「孤軍奮闘」 「営業所昇格」
♪草原の〜
街角の〜 「高い流通コスト」 「合弁会社設立」
♪みんな〜
見守られ〜 「沖縄独自の製品を!」 「缶入りさんぴん茶の発売」
♪地上〜 誰も〜 「年寄りくさい」 「冷たいお茶なんておかしい」
♪人は〜 「市場の冷ややかな声」
♪つばめ〜よ〜 「運命を変えたCM」
♪おしえ〜て〜よ〜 「爆発的売り上げ」
♪つばめよ〜 今どこに〜 「沖縄自販機の顔に」 「そして観光客の口へ」
つかめ沖縄の心〜あるナイチャーの挑戦〜 参考文献(PDF)→[Click Here!]
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1972年(昭和47年)、沖縄はアメリカの統治が終わり、日本に返還された。 そうはいっても、本土の人たちにとって沖縄はまだ遠い存在であった。 そのような沖縄に昭和60年、 1人のナイチャーが本社の沖縄出張所に駐在員として赴任した。 住宅兼事務所、駐在員は1人だけ。
男の名は〇〇。 戦いが始まった。
孤軍奮闘した結果、年々売上げが伸びたが、 一人では限界。 3人体制の営業所に昇格した。
しかし売上げが伸びても、流通経費が掛かるため、赤字を計上。 本社は沖縄営業所の赤字を解消するため、 現地生産化を図り、 売上げを伸ばす計画を立てた。
この時、パイン缶詰を製造するひとつの会社が、 パイン産業の斜陽化の流れを受けて事業転換を模索していた。 商品の委託生産が具体化した。
だが、委託生産を行うには、 生産拡大やオートメーション化のための設備投資が不可欠となった。 そのため、本社は沖縄における生産拠点として合弁会社を設立した。
そのとき沖縄独自の商品開発、販売戦略の必要性を〇〇は感じていた。 「沖縄らしいものを作ろう」 早速、アイデアを求め〇〇は牧志まちぐわぁーからやんばるまで沖縄を回った。
新製品の開発のため沖縄各地を回り悩む〇〇、疲れた体で泊まった宿で出された 飲み物を飲んだ。 「これだ!」そう感じた 沖縄で昔から親しまれてきた味。 ちょうどその頃、業界では缶入り緑茶ブームが起こりつつある時だった。
缶入りさんぴん茶。 前代未聞の、とても過酷な試みだった。一か八かの、賭だった。 その時だった、一人の男が言った。「やるしかない」 想像を絶する困難に、立ち向かう… それは、生産者としての意地だった。 男達は奮い立った。
販売が決まり 沸き立つプロジェクトの中で、顔色の悪い人物がいた。 男の名は、××。××は言った。
「うちのおばぁにあげたら、飲んでくれんかったばー」
彼の言葉に、プロジェクトメンバーは驚いた。 誰もが、耳を疑った。その場に立ちつくしてしまった者もいた。 「なんでかねー?」
そして実際、聞こえてくる消費者の声は冷ややかなものだった。 「年寄りくさい」 「冷たいお茶なんておかしい」 「うちで飲めば安いのに、なんでわざわざ買うさ〜?」
営業部からの悲痛な声が聞こえた。
在庫の山ができた。 ラインはストップした。 「だめかもしれない」そう思った。 しかしその時、男達の中の1人が言った。
「イメージを変える必要があります。思い切った広報戦略をしましょうね」 「なんくるなんさー」
△▼広告代理店。 業界にその名を轟かせる、凄腕の職人達。見事な技を、持っていた。 プロジェクトの運命は、彼らにゆだねられた。
×〇は早速広告代理店に沖縄の消費者の意識調査を依頼。
調査の結果、可能性があり、 市場規模は大きいと確認したので、 主力商品とするマーケティング戦略が提案された。
これを失敗すれば、もう後がない。 だが、いつしか結ばれた、強い絆が彼らを支えた。
知名度・理解度を早急に清涼飲料のNo.1グループに引き上げるテレビCM展開を計画。 沖縄の童歌のメロディに、商品特徴の「香ばしさ」「香りのよさ」を伝える歌詞を当て、 若い女性を中心に『さんぴん茶』のイメージの確立を図り集中投入した。
そして奇跡は起こった。起死回生の、大逆転だった。
飛ぶように売れた。 「生産が追いつかんさー」工場からうれしい悲鳴が聞こえた。 キャンペーン展開1年でさんぴん茶は県産飲料のトップに、 2年目にはお茶系飲料でNo.1となった。
(ヘッドライト テールライト) 開発から10年、他社も追随しさんぴん茶は沖縄のどこの自販機にも並ぶようになった。 水出しティーバックも作られ、ますます手軽で身近な物となった。 2003年9月、JTAは粉末さんぴん茶の発売を始めた。 水やお湯に入れるだけで簡単に作れる、画期的な商品。 その販売に関わる1人が言った。 「このお茶を内地の人にも伝えたい」 挑戦はこれからも続いていく・・・。
広告戦略についてはこちらを参考に作りました。
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