Sunny days Summer days

初ツーリング

 集中講義を取ったので夏合宿前ランはすることができなかった。前ランをする井出と植木をうらやましいと思った。合宿地は能登半島の七尾。実家新潟までは初のツーリングとしては適度な距離,3日くらいでいけるだろう(内田さんは合宿初日長岡から七尾まで1日で走り合宿参加という荒業をやっておりましたが)。当初は1年数人が私の実家に来るということで一緒に走るという予定でしたが・・・井出は佐渡へ行き、植木と木下はしまなみ街道に行くことになり・・・私は一人走り出したのでした。

8月10日 (初)  七尾―新潟県境

 初参加の合宿が終了。方面が同じキャンプ組とともに宿を出る。30キロほど走り海岸のキャンプ地へ。ここえでキャンプ組と別れいよいよ一人に。初のツーリングが始まった。新潟までの中心はR8、とりあえずそこに出なくては。氷見駅前を抜け高岡でR8に入る。そこに現れた表示 新潟まで269キロ。わかってはいたけどあらためてその距離の長さを感じた。計画では1日100キロ。この日の目標は新潟県境。これまで走りは定サイと通学のみだから100キロ走ったことはなかったが新潟までの道はほぼ平坦なので行けなくもないだろう。そして休憩をこまめにとるという戦略で行くことにする。最初の休憩地は道の駅新湊。ちょうどこの日の高校野球は先ほどまでいた石川県代表の小松と富山県代表のここ新湊の戦いであった。もちろん道の駅は応援モードでありました(結果は新湊が勝ちました)。次の休憩地は富山市へ。合宿でこの夏に全県制覇を達成し、県庁所在地にこだわっている椛島さんの話を聞いていたので、道を外れることになるがとりあえず富山県庁に行ってみる。近かったので富山駅にも行ってみてそこで休憩。これが後々の私の行動パターンを決めることになるとは・・・。駅前にはテレビ局があった。路面電車が走っていた。駅のポストの上には薬売りの像があった。さすが富山。市内あちこちにチックタックという富山ローカルコンビニがあった。地方特有のものはけっこうあるものだ。この考え方も後々に影響することに・・・。富山といえば蜃気楼、海岸の蜃気楼ロードに行く。もっとも今はシーズンが違うからそう見えるものではないのだが。やはり見えない。それでも海岸の道は悪くない。道の駅滑川で休憩。暗くなってきた。そろそろキャンプ場を探さないと。夕食は店でキーマカレーを食べる。テールライトを持っていなくフロントライトだけを頼りにキャンプ場探し。暗い場所の案内板は見えづらく、まっぷるに載っていない道を進むのには不安があった。8時に入善町の園家山キャンプ場に到着。初の野宿は暑かった、しかし疲れですぐに眠りについた。

8月11日 暑き海岸  新潟県境―上越北部

 暑さで目ガさめる。キャンプ場の朝は早いのだと知る。まっぷるはいよいよ関東に突入。R8はいつしか北陸本線と並走し海に出る。道の駅越後市振の関で新潟県入り。しかし面積の広い新潟県、まだ先は長い。そして本日のメイン、親不知に挑む。崖で道がなく北陸自動車道が海上に造られた場所。R8は断崖を通る。決して道はよくない。しかし日本海側の中心路であり、他に道がないため交通量は多い。まっぷる解説「信号少なく流れは速い カッ飛びダンプも多い」「へばりつくようにして走る断崖路 迫力」「荒波に大接近」「大型車多い 激しい気象で道の痛み激しい」・・・。そして夏の海岸は暑かった。親不知の地名は親子が互いに顧みる暇もなく断崖の波打ちぎわの波間を通り抜けなければならなかったことに由来します。親不知は5%アップダウンが続き、日本海を北上する自転車は海岸側を走ることになるので実に迫力があった・・・崖だもん、落ちたら間違いなく・・・と思いました。休むところはおのずと決まっていった。親不知、青海市街、道の駅能生という感じでほぼ15キロごとに休憩。このうち道の駅能生には冷水器があったので十分補給。それでも日差しの強さに上越市直江津駅前のスーパーで2時間ほど休憩。直江津港を見てからR8を避け海岸県道で北上。6時に柿崎駅に到着。当初は一緒に走る仲間とここで花火を見る予定だったんだけどなあ。とりあえず会場を探すが駅には案内がない。道端の看板で発見。田舎町の小規模のものだからこれも仕方ないのかな。それでもとりあえず見に行く。確かに規模は小さく、豪快なものはない。それでも海岸で煙のにおいがする近さで見る花火は新鮮だった。ずっと遠くで音が後で聞こえるものしか見たことがなかったから。終了後キャンプ場に行く予定だったが面倒なので人が帰ってからテントを張りそこで野宿。夏の海岸は夜中に来る車があり光と音が少し気になった。

8月12日 R116  上越北部―実家(新潟市近郊)

 人でにぎわう夏の海も朝は静かである。米山峠を越えてしまえば後は峠はない。道の駅米山は朝早くて開いてない。海岸沿いの道はかにを中心とする鮮魚店が立ち並ぶ。今回だいぶお世話になった道の駅、このままR8を進んだらもうないだろうし、道もつまらなそうだから柏崎からR116に入ることにする。R116は高校の前を通っていたなじみのある道。そのあたりは家や店が並ぶが柏崎の起点付近は整然としている。原発の刈羽を抜けて道の駅西山ふるさと公苑は中国風の独特のデザイン。売店は食事メニューがまだやってなくコーヒーを頼む。ひざに違和感を感じ始めたので長めに休む。次は道の駅良寛の里わしま。てまりラーメンを食べる。ようやくなじみあるところまで来た。鮮魚店並ぶ寺泊、大河津分水の分水、越後線の中心地吉田。ここでR116とお別れ。とたんに雨が降る。急なことで逃げ場に困る。小さな店の軒下で1時間休む。その後20キロほど走り無事に帰還し最初のツーリングは終わったのでした。


佐渡

 同じ学年の井出が佐渡に行った。それなら地元の私も行くしかないだろう、近いし。

8月17日 大佐渡スカイライン

 9時半のフェリーに乗ろうとしていたが、実家で朝はゆっくりの生活をしていた私にはつらく、遅れる。そして佐渡汽船の出航を5分遅らすということをやってしまった。2時間半ほどで到着。ターミナルで地元の人に「トライアスロン選手?」かと聞かれる。一周200キロほどの佐渡ではトライアスロン大会が毎年行われており、選手が練習に来るそうです。佐渡の中心R350を行き、金井町から本日のメイン大佐渡スカイラインへと入る。このとき2時、もっとも暑い時間だ。7月会報のツーリング特集の内田さんの記事できついことは知っていた。わかっていたけど・・・つらすぎる。登りはじめで抜かれた人(徒歩)にはずっと追いつくことがなかった。道はやがて六角溝のある石畳に。初めてインナーローを使った。せまい道をたまに観光バスが通り抜けて行く。休むところなどない。ずっと道端には草木が茂り店はない。やがて10分もない間隔で休むようになる。押しが入る。そして現れる斜度16%の標識。・・・くたくたになった。登りきるには2時間以上かかった。そしてたどり着いた上の売店は・・・休みであった。それでも自販機はあったので水分補給。そして展望台へ行く。越後山脈を望む。・・・ずっと夏の海に遠くに見える存在だった佐渡、そこから本土側を眺めるのは実に不思議な感じだ。登った充実感もあり気持ちいい。そこから先は普通のアスファルト。実際の最高地点は少し先でありさらに100mほど登る。下りの途中浮島のある乙和池を見る。金山資料館はすでに閉館時間。下って海に出る。ずっと見ることがなかった佐渡の裏側。佐渡のコンビニセーブオンで買出しをした後南下、長手岬キャンプ場へ。その手前にはホテルがあり、駐車場の横には東屋がありそこに人が。地元の人に話しかけられそこで野宿をすることを勧められる。ホテルの売店で買出しはでき、駐車場の街灯で暗くなく、過去にもそこに野宿した人がいるからだということだ。たしかに悪くはない。しばらくその人と話をした後就寝。

8月18日 トキ保護センター


酒蔵でもらった地図
 南下して西三川ゴールドパークに行くことにする。大佐渡スカイラインの疲れが残っていたのでゆっくりと。シーサイドロードはいい。ゴールドパーク着いて料金を見て(800円くらいだったと思う)入るのをためらい、一人でやってもつまらなそうと考え直し結局入らなかった。小木まで行き佐渡を半周してからトキを見に行くことも考えたが、時間と体力を考慮し最短距離でセンターに行くことにする。とりあえず真野市街まで戻る。その際来た時とは別の3桁県道などを使ったらひどい田舎道で、ケータイも圏外で不安になってしまった。案内板も不親切だし。戻ったらまっぷるに酒蔵見学が書かれていたので行ってみる。真野町は左の地図のようにアルコール共和国を名乗っていて、町役場をアルコール共和国総理府、市町村境を国境としている素敵な町です。好奇心で初の試飲。日本酒など普段全く飲まないのに。佐渡の柿(おけさ柿として有名)を使ったお酒とここでしか飲めない限定のお酒「つるの吉兆」が印象に残りました。昼からなんて初めてだ。・・・酔いを覚ましてから移動。トキ保護センターはちょうどここから両津までの県道65号線のそばにある。しかし現地に近づくとどうもおかしい。まっぷると案内板の表示が違う。それでも案内板を信じて移動。道は新穂村市街地を外れ郊外の森へ・・・新しいセンターができていたのであった。環境保全協力費の名目で200円で入れるところが良心的。今年中国からきたヨウヨウ(♂)とヤンヤン(♀)を見ることができた。その後両津港の3時半のフェリーで帰還する。島を一周するために佐渡にはまたそのうち行くことにしよう。

パンフの写真より

新潟自走記
 「出身は新潟」とサークルで話すと「3日で行ける」と言われる。都内を通っている道R17、それは新潟県内でR8に合流し新潟市へ向かう。私の実家はR8から数100mほどのところにある。そして挑んでみた。

1 新潟→東京
8月21日 実家(新潟市近郊)―六日町 100k

 某局で毎年恒例のマラソンを含む24時間番組がある日の午前11時半に実家を出る。R8を行く。新幹線駅のある三条までは慣れた道だ。駅付近で小休止。そして未体験の道へ。三条市街を抜ければ両脇に田園地帯が広がる。長岡よりR17、道脇のラーメン屋で昼食。そしてR17に入る。現れる「東京」の距離表示は200キロを越える。小学校の社会科で出てきた小千谷の道の駅へ。河岸段丘の地形はそこで知っている。小千谷縮は重要無形文化財になっています。道の駅のテレビは桐生第一の全国高校野球大会制覇を伝える。そしてここから先大和(浦佐駅)、六日両町にはなじみ深いスキー場の名前が並ぶ。先にあるのは山々、急いでも今日行ける場所はおのずと決まってくる。日没近くになったので野宿場所を探すか、と思っていたら急に雨が降り出す。強い、しかし田園地帯は逃げ場がない。ずぶ濡れになって駆け込んだ六日町駅。トイレで着替えた後駅の案内を見ると、電車が止まっているではないか! 雨の強さを知り、ずぶ濡れですっかりモチベーションも下がったので復旧を待ち輪行し、越後湯沢から最終の新幹線にのりその日のうちに東京に帰還。

2 東京→新潟
第一回は上記とおりの失敗のため、今度は東京から新潟側へ挑む
別なルートを通ろうと 東京―長野―新潟 などというルートを計画して挑んだ。

9月14日 東京―秩父―上野(群馬県) 140k

 5時に目が覚め6時に出発。まずは吉祥寺まで行き吉野家で朝定食を食べる。井の頭通り、小金井街道、所沢街道で所沢に。早朝はきもちいいー。次第に通勤の車が多くなる。通学する人々を見て自分は違う世界にいるのだとなと感じる。飯能を過ぎ名栗村に入ると静かに。道に沿って川が流れる。森林の中を気持ちよく走っていたらいきなり急坂が。山伏峠があるなんて知らなかった。30分の苦戦の後、6月定サイで来た秩父へ。ここまで約80キロ、お昼を食べようと吉田町の道の駅龍勢会館に行くものの定休日。そこでまっぷるをみて小鹿野町まで行きわらじカツ丼の店を探す。R299 沿いで見つけた店は新しそうだったので、老舗っぽい店を探そうと通り過ぎたら結局店は見つからなかった。3時ごろコンビニでパンを買い昼食。その後R299を行くがまっぷるに書いてあるように退屈。峠付近で急に雨が降る。路面が一部悪かった。トンネルを抜けて群馬県入り。上野村に着くと霧が深くあっという間に日が暮れてしまう。道の駅上野で休む。

9月15日 上野―ぶどう峠―小海


ぶどう峠より
 朝になり昨日買っておいたゼリーをひとつだけ食べ出発。夜中に降った雨のせいか行こうとしていたR299は通行止め。南牧村に抜ける県道45号も通行止め。仕方なく県道124号に入る。これが昨年の特訓ランのコースとも知らずに・・・。雨が急に降り出す。あちこちで路面が陥没している。途中で休むところがなく、また初めて空腹による苦しみを体験する。登るにつれて雨は弱くなり、苦戦すること3時間、やっと県境に。苦労したこともあり、すばらしい景色。ただ食べるところがない。そのまま下る。そして着いた小海駅。そこの店でやっと昼食。ソースカツ丼とラーメンのセットを食べる。長野にもソースカツ丼があることにびっくり。食べ終わり店を出ようとしたら雨が強くなっていた。駅で休む。テレビがあったので見ると台風情報をやっていて、台風16号が今夜にも長野を通過するとのこと・・・やばいー!・・・というわけで輪行。鈍行乗り換え4回、乗ること8時間で新潟にたどり着く。またしても東京―新潟間自走は失敗したのであった。