とまりんで座間味島にフェリーで渡る4人を見送り一人に。北を目指し国道58号を北上していく。道脇に100円ショップがあったのでここでそうそうに食料の買出し。お腹が減ったのでA&Wでもないかな…と走っていたらマックがあったのでそっちに入ってしまった。平日だししばらく食べてなかったし。那覇市街地を抜け浦添市に入る辺りからはアメリカのような風景が広がっていく、実際アメリカに行ったことはないけど。片側3車線の道、中央分離帯にはヤシの木が生えていて道脇には横文字、アメリカ系の店がたくさん。米軍払い下げの品を売っている店もけっこうある。そしてアジア系の店もいくつか。うーん日本って感じがしないなあ。中でもブルーシールのでかい看板が印象的だった。その後店が減ったなあと思ったら今度は広大な軍用地が広がる。今まで八重山諸島にいたときは感じなかったけどやはり沖縄とアメリカの関係は大きいようだ。嘉手納町には米軍用の飛行場があり次々と戦闘機が低い位置を飛んでいく。読谷に入ったところで一度58号を外れ残波岬へ。離島諸島に比べると本島は自然が少ないといわれるけどそれでもなかなか海はきれい。崖から名護市、本部町の方を見て明日はあそこまで行くんだな、と思い自分を奮いたたせる。海岸沿いを走り再び58号へ。万座毛まで行きたかったけど日が暮れてしまったので断念。万座毛入り口の交差点の近くということで野宿場所を探す、と思ったがその前に酒を探す。交差点前のローソンに入ったところ酒はあるが泡盛がなくてがっかり。今日はオリオンだけかなーなどと思いながら進むとホッパーを発見。ここには置いてありほっと一息。野宿は海岸沿いなら楽勝と思っていたけどホテルのプライベートビーチが多くいいところが見つからない。58号脇に本来その日定休日ではないのに閉まっている店があったのでその脇に。外の水道を使い自炊。レトルトカレーをサトウのごはん2パックにかけて食べる。国道でそれなりに交通量があり相変わらず米軍機が飛んでいて多少の騒音があったものの久しぶりに走った疲労とオリオンと泡盛のおかげで夜中目が覚めることもなく熟睡。沖縄にきてからこの前日までにとった写真が50枚くらいだったけどこの日朝変えた24枚撮りのフィルムがあと一枚になっていた。やはり一人だと発見が多くなるということなのだろう、いろんな意味で。 | 残波岬 |
朝起きてまず昨日暗くなり行けなかった万座毛へ。万座毛は本島一の景勝地となっているところ。琉球石灰岩の海岸と広い芝生の景勝地、ダイナミックに岩が砕け散る←マップル解説。この日はずっと海岸線を走る。名護市に入り道の駅許田でブルーシールを食べ休憩。市街地に行き天然記念物のヒンプンガジュマルの木を見た後、コインランドリーを見つけたのでそこでたまっていた洗濯をして、その間に沖縄そばの店、宮里そばへ。三枚肉そばがうまかった。こんぶものっていた。海岸線を走るため449号へ。本部市街地の手前瀬底島へ渡る橋がかかっているところはなかなかいい。本部市街地にて沖縄一有名な(そう雑誌に書いてあった)沖縄そばの店岸本食堂へ。かつおだしのスープがおいしかった。2時間前にも沖縄そばを食べているのもかかわらずスープまで全部いただきました。この店は県道から一本入ったところにあります。 |
食べた後は沖縄記念公園に行って一休み。ここではイルカショーがただで見られます。僕は時間がなかったので見なかったけど。熱帯植物園、水族館などもあるので時間があればここでしばらく過ごしてもいいのかも。白砂を敷き詰めた人工のエメラルドビーチなどもあります。この日は24、5℃あり一人でなかったらここで休んでいるのだろうな…。少し離れたところには伊江島が見える。そしてあとは北の地、辺戸を目指して。今帰仁村、名護市を周り大宜味村に入ってからあとは爽快なシーサイドライン。途中でジープの後ろに乗った米軍人がビデオテープを回しながら僕に手を振ってくれた。道の駅大宜味でサーターアンダギー、国頭で夜食を購入。国頭の方では入るとき雨が降ってきた。もともと一日70パーセントの予報、ここまで降らなくかなり幸運だったけどついに降り出した。そこで30分ほどここで休んで弱くなってきたころを見計らって出発。雨はやがてあがっていた。あとは辺戸まで一直線。なんか去年の夏に宗谷岬に行ったときを思い出した。あの時も北の地を目指してひたすら海岸線を進んでいたっけ。 | 沖縄記念公園 |
辺戸岬 | 日が暮れる30分ほど前に本島最北の地辺戸岬に到着。岬には今年作られた海の向こう、与論島のシンボルである鳥の像があった。そして崖の上に立つ祖国復帰闘争の碑。ここにきて初めて内地のことを思った。アメリカ占領下時代の人はここから与論島(鹿児島県)を見て何を思ったのだろう…。ちょうど岬前の店が閉まりかけていたので店の前にテントを張ってよいか聞いてみる。そしたら売れ残っていた焼きそば1パック百円×2を買わされる、まあいいけど。夜から翌日にかけて雨の予報だったので店の屋根の下にテントを張る。テントを張り焼きそばを食べようとするが…食が進まない。腹は減っているはずなのに…疲れすぎていて食べる気も起こらない状態になり、まだ7時にもかかわらず横になる。時間が早いせいだろう、すぐには寝付けない。そのうちテント周辺を照らす光が現れた。光は何回もこちらを照らす、しかし音がない。警察官の巡回かな?と思いテントを開けてみたところ、地元の人らしい人が話しかけてきた。その人はまず僕にサンドイッチをくれた後話し始めた。彼は大学の保健学科を出て看護資格をとった後沖縄にきてこの周辺の地域でその方面で働いているらしい。そしてつらいことがあったときここ辺戸岬にくるのだという。ここは売店の照明以外は明かりがなくけっこう暗く、静かなところなので確かに落ち着くのかもしれない。僕もせっかくの地元の人との話す機会だったのでいろいろ聞いてみる。翌日行く東海岸のこと、見所、食べ物のこと…。本島から近い離島に行くなら渡嘉敷島がいいらしい、本島南部は沖縄戦において激戦区だったため南部の海岸には夜旧日本兵がくるといううわさがあるから野宿するなら気をつけた方がいい…←あくまでうわさです…。そしてこの辺戸岬は自殺の名所らしい…←これもあくまでうわさです…しかしそういわれればそんな感じがしないでもない。静かだし、崖だし、与論島が見えるし…。でも野宿場所としては岬なのに静かなことは別にいいことである。その人と1時間ほど話した後動く気力もなかったのでそのままそこで寝る。 |
3月21日 東海岸 110キロ
ずっと晴れていたけどついに雨の日が。昨日のやきそばの残りとサンドイッチを食べて出発。走っているのは海岸近くのはずだけど今日は海はあまり見えない。集落もない。しかしアップダウンはけっこうある…そして雨。前日とはうってかわって厳しい条件。そういえば僕は三陸の方にいったことがなくリアスを長く走ったことがない…。海岸線?ということでは今までで一番きついものになった。8時過ぎから走り出し、途中寄る所もなかったのに正午の時点で30数キロのスローペース。こういう所を走ることでなるほどツールド沖縄のコースが楽ではないことを感じた。山登ってないのに。名護市街地に入るまで特に見るところもない道が続く。こういう所を走った後だとレンタカー部隊の気持ちもわかる。はっきりいって一周ということを考えなければここは通らないべきだろう。西海岸と違いすぎる。名護を過ぎてからはだんだん市街地が。春の選抜21世紀枠宜野座高校で盛り上がっている宜野座村を通り金武町でマップル掲載の元祖タコライスのキングタコスに入りターコライス(こう書いてあった)とルートビアを注文。そしたらここのタコライスは白いごはんに味付け肉がのっているだけでほかのトッピングはされていなかった。確かにメニューを見るとチーズや野菜のトッピングは別になっている。失敗したなあ。それでも、と思い食べていると店員からケチャップと辛いケチャップを勧められる。あっ、本当はそれをかけて食べるのね。なおこの店は国道329号から日米社交場通り?みたいな名前の通りに入ったところにあります。名前のとおりこの通りには横文字のうさんくさい店がいっぱいあります。僕は夜一人ではこの店には行けなかったでしょう。そして寝床探し。しかしここからは市街地が続きいい場所がなかなか見つからない。ずっと一日雨だったので風呂にも入りたかった。翌日みんなとの合流もあるし。本島はキャンプ場、それに温泉が少なくて苦労する。疲れていたものの走るしかない。沖縄市に入ってすぐサウナが見つかったのでそこへ。ここは普通の風呂、サウナ、水風呂の3つしかない簡素なところだった。それでも疲れた体を癒すには十分だった。レージャーをきたままお店に入ったので近くのお客さんから自転車に乗っているのか?と聞かれた。そうだと答えると風呂をでたあとにてんぷらとオリオンをおごってくれた。その後仮眠室で就寝…しかし12時に店が閉まるため追い出される。そこで同じ敷地内のコインランドリーに移動して洗濯をしたあとジューシーおにぎりを食べシークワァーサーサワーと泡盛を飲みあらためて就寝。しかし一人になってからはホント一人でないと選ばないようなところで野宿しているなあ。
中城城跡 |
市街地にもかかわらず結局夜起きることなく7時まで熟睡。前日けっこう距離稼いだおかげで特に急ぐことはない。そのまま南に下り北中城村と中城村の境目にある中村家住宅と中城城跡へ。中村家は18〜19世紀の豪農の家屋が保存されていて、中城城跡は全長1キロ以上に渡って城壁が残っていて、東シナ海と太平洋の両方をみることができる。城が復元されていくのもいいけどそのままの形で残っているのもいいのではないでしょうか?この後329号をそのまま与那原まで下り一周を達成!(与那原〜糸満〜那覇間は他の人と別れる前に一緒に走っていた)。道脇のjefに入ってゴーヤーバーガーを食べる。レージャーで入ったからだろう、店の人から「この子にも旅をさせてあげて下さい」とjefのマスコットキャラクターをもらう。 |
首里へ。やはり少し登ったところにあった。2千円札の守礼門を見て首里城内へ。首里城は去年までで城主要部の修復は終わったよう。それでもなお周辺部の修復作業は続いていた。首里城はどちらかといえば中国の影響を強く受けているのだろうけど、琉球王朝独特の感じがあり僕は好きです。日本史やっていないからくわしい歴史は知らないけれど。首里城のトイレの水道はシーサーの口から水が出ます。1時間ほど見た後周辺の玉陵や石畳道を見て、沖縄料理とおみやげを求めて国際通りへ。ここは戦後急速に発展した地域で今では沖縄一の繁華街になっている。ここのまちぐゎー(市場)は実に沖縄っぽいところです。食事しようとしてたあかさたなというお店は行ってみたら5時からだった。そこで周辺をさがす。そしたらるるぶ掲載と店の前にかかれている店があったのでそこへ。てびち汁定食とぐるくんの唐揚げを食べる。ぐるくんの方はメニューに時価とかいてあり少し怖かったけど。お腹を満たした後はおきなわ屋に行き試食しつつ試飲しつつおみやげを買う。もう離れるのだな…などと思うとつい買いすぎてしまった、1時間もいてしまった。この店には沖縄限定お菓子の詰め合わせがあります。買い物しているうちに5時をすぎたのであかさたなに行く。そこでマーミーナチャンプルー定食とオリオンを頼む。小鉢にはミミガーが入っていて、汁はアーサー汁だった。ここは居酒屋風の店、他にお客さんがいなかったのでずっと店の人と話していた。沖縄の居酒屋には定食が豊富で子供向けメニューをそろえている店が多く、子供連れでも居酒屋に入ることがよくあるそうです。沖縄県庁の横を通りみんなと別れたとまりんへ。レンタカー部隊を待って眠くなったのでとまりん3階の外で寝ていたら警備員に追い出される。しかし話を聞いたところ2階なら寝てもいいらしい。そこで2階に移動すると確かに寝ている人がいた。ダンボールで寝ていた人もいたけれど…。熟睡してしまい最小にしていたケータイ着信音に気づかず、直接志村に起こされてレンタカー部隊と合流。そんなわけで翌日春合宿に合流したときは一人疲れていたのでした。 | 守礼門 首里城 |
合宿にて 阿蘇火口
宿でみんなと別れて濱崎と二人で走ることに。周りはもう帰るだけで観光モードの人が多い中走り出す。熊本駅で馬刺し燻製を手に入れ植木すいかカステラを見た後やたら長い直線道路を熊本新港まで走る。北海道でないところにこんなに長い直線道路があるなんて…。40分ほど待ってフェリーに乗り島原湾を渡り島原へ。フェリーから見た普賢岳は「なんでこんなに海から近いところにあるの?高いなぁ…」。実際はアップに加え暑さと腰痛に苦しめられる。しかし今日の登りはここだけだ、登りきれば…という思いで進む。そしてたどり着いた頂上、雲仙温泉。100円の共同湯に満足。下って橘湾岸を走る。千々石展望台で雲仙岳、平成新山を見つつ、じゃがちゃん(注1)を食べる。そして長崎市へ。市街地の近くに山があることに驚き。これは町を出るのは面倒だと思った。峠を越えて下って市街地へ。しかし坂が多い。長崎駅のテナントはもう閉まる直前だったので買い物は翌日することにする。206号を北上。ここを通る分にはそれほど坂はない。しかし一歩この道をはずれた途端、長い坂が現れた。そこを登り坂の上の濱崎邸へ。トルコライス(注2)をごちそうになった。 | 千々石展望台より |
平和祈念像 |
午前中は濱崎による観光案内。平和公園、めがね橋(日本最古のアーチ橋)、(鯖くさらかし岩、)と幅広く案内してもらった。いくら長崎が坂の町でもやはり自転車があると移動は楽だ。長崎駅前の店に入りちゃんぽん (注3)を食べ、駅で茂木びわゼリーとカステラ(注4)を買う。その後206号を濱崎とともに北上し、大村湾の手前、207号との分岐で別れる。桜咲く湾岸道路を進む。単調な道が終わりそろそろ市街地…というところで後輪がパンク。数キロ進んで再び。再修理。また数キロ進んで…今度は前輪。この時点でパッチの残りが一枚。もう一回したら輪行することを決意。 |
幸いこれから佐賀まで行こうとする道はJRが並走しているからいざとなってもなんとかなるだろう。有明海に沿って走る。佐賀県に入ったところで県境の温泉というのがあったのでそこへ。露天風呂からは走ってきた道と夕暮れの有明海が見えた。そしてナイトラン。スローパンクぎみなので空気を入れつつ進む。辺りには竹崎ガニの店が多くあったので食堂に入りかに丼を注文。白いご飯にかにが乗ったものを想定していたけど出てきたものはかに卵とじ丼って感じだった。道の駅鹿島まで走り野宿。やはり沖縄に比べて昼夜の温度差があり夜は寒かった。 | めがね橋 |
3月28日 ぎぶあっぷ 10キロ
天神にある西鉄福岡駅 |
朝起きたら両輪とも空気が抜けているではないですか。5キロほどリムドライブをして肥前鹿島輪行。県庁所在地佐賀市に行けなかったのが悔やまれる。しかし輪行したせいで当初の予定よりずっと早く博多駅に着くことができた。博多駅で食べるものを探し、とりあえずかしわ飯を食べる。ホークスV3弁当や城島焼酎が博多駅にはあった。ぞして駅の案内地図を見てラーメン屋を探す。すると多くの店は天神にあることがわかり、リムドライブでキャナルシティの横を通り天神へ。コンビニの情報誌で場所を確認し、一風堂(注5)と一蘭(注6)へ。普通にラーメンを頼むととんこつがでてくる、九州のこういうところが僕は好きです(札幌=みそラーメン、のイメージはあるけれどもすべての店でみそラーメンがでてくるわけではないし)。食べた後はベイサイドプレイスに寄って、時間はあったけれどリムドライブであり、そのうえ寒かったので早々と福岡空港へ。福岡空港は市街地から近いところにあるので行くのが楽だ。ここにはまたいつか来ることになるだろう。この沖縄ツーリングまで僕は飛行機に乗ったことがなかったけれど、今回もう5回目となると乗るのは楽だった。西スポを読みながら搭乗手続きを待つ。これまで4回の飛行はすんなりいったものの今回は上空の天気が悪いらしく1時間待って初めて飛行機の天候への弱さを感じた。そして飛行機で新潟に行き9日から計20日に渡った今回のツーリングは終了。この日新潟は4℃で沖縄にいた身にはこの寒さはかなりこたえた。 |
注2 トルコライス 長崎で食べることができ、一般的には楕円形もしくは円形の洋食皿の上に、3種類のアイテムを乗せてサービスされる。3種類のアイテムは、とんかつ、スパゲッティ、ドライカレーという組み合わせが一般的だが、「エビフライが一緒にいた」「チキンカツだった」、「ドライカレーではなく、バターライスにカレーソースがかかっていた」、「スパゲッテイがミートソースだった」、「スパゲッティがアラビアータだった」等という情報も未確認ながらある。起源には諸説ある。ピラフをトルコのアナトリア高原、とんかつをタウルス山脈、スパゲッティをエーゲ海の海岸線に見立てたという「地動説」、3種類の料理を三色旗になぞらえた「トリコロール」説、中東のとんかつ、イタリアのスパゲッティ、インドのカレーが中世の西アジアの文化中心地であったトルコで出会い、それが鎖国時代唯一海外と交流のあった長崎で開花したという説(ただし実際トルコはイスラム文化圏で豚肉を食べない)などがある。 注3 ちゃんぽん その昔、中華料理店のおっちゃん(中国人)が、同じく中国からきた留学生に、何か安くてボリュームのあるものを食べさせてやりたい!という大陸愛により作られたと言われている料理。野菜、魚介類など確かに具が多い。長崎以外で手軽に食べるには「リンガーハット」へ。 注4 カステラ 長崎のカステラは約400年前、ポルトガル人によって日本に伝えられた。ポルトガル語の Ca s tella が語源。カステラという言葉はスペインを意味するポルトガル語で、このお菓子が今のスペイン領内にあった王国カスティラで生まれた食べ物であったことから名づけられた。長崎カステラの特徴は、底に双目糖(ざらめとう)がこすり減らされた中にも残っているもので、この製法は高度の技術を必要とする。 注5 一風堂 新横浜ラーメン博物館にも出店し、セブンイレブンではこの店のインスタントラーメンも売っている。コクと深みを追求した濃厚な味の「赤丸新味」とさっぱりとした口当たりでまろやかな「白丸元味」の2種類の味。特製のタレにつけ込まれたチャーシューもおいしい。 注6 一蘭 日本初の元会員制ラーメン店。「7項目の好みを紙に書き選べる注文方法」「唐辛子入りラーメン」「替玉方法」「目の前ののれん」はこの店が元祖。有名人の来店も多い。 |