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2 Re九州編

*写真はクリックすると大きくなります。

3月15日 沖縄と鹿児島の間(2)


与論島

沖永良部島

徳之島

奄美大島名瀬新港
 ついに10日間いた沖縄を後に。出港後酔い止め薬の効果で即行寝る。起きたときには与論島。ここもまたのんびりできそうな島だなあ。出港が遅れる。しかしそれが農作物積荷作業というのがのどかな離島らしくていいなあ。買っておいた昼食を食べまた横になる。次は沖永良部島。ここは島の名前すら知らなかった。船内の地図を見ると沖縄と鹿児島の間にたくさんの島がある。この間4つの島に船は停泊する。さすがにもう寝れない。シャワーを浴びた後売店でラーメンを買い食堂で大相撲中継を見ながら食べる(充電)。取り組みが終わる頃に徳之島。ここもまた知らなかった。夕食は食堂でチキン南蛮定食。その後昭文社の屋久島5万図を取り出し明日以降の下調べ。急に不安に襲われる。私は1000mを超える登山をしたことがない(自転車ならあるけどね)。屋久島登山は過去に行方不明者が多発しているらしい。3月まだ山は寒く雪の可能性もある(屋久島最高地点宮之浦岳(標高約1900m)の3月の平均気温は1℃です)。縄文杉を見るコース(標高約1300m)はそれに比べれば楽らしいけど・・・急に1人が心細くなった。それでも行ってみたいから行くのだが・・・。暗い中名瀬新港を見届けてからかるかんをつまみオリオンを飲んで寝る。・・・飛行機に比べ安いから選んだフェリー(飛行機は約2万円、フェリーは学割で約1万円)。たしかに時間はかかる。しかし数々の離島を見て関心を持てたのは収穫だった。今度奄美大島に行くのもいいかもと思った。

3月16日 決戦前日


佐多岬

フェリーから桜島

鹿児島港より
 起きて甲板に出てみると思ったより寒くない。8時の到着予定は遅れに遅れ9時半に。折田汽船の8時45分の便フェリー屋久島2もさらには鹿児島商船の9時50分の屋久島行きの便ジェットフォイルトッピーも逃してしまった。那覇⇔鹿児島便と鹿児島⇔屋久島便の埠頭は違うのでとりあえず移動。
フェリー屋久島2は自転車がそのまま載せられるので便利なのだが1日1便しかない。そこで輪行して1日5便のジェットフォイルトッピーで行くことにする。フェリー屋久島2より所要時間は短いのだが高い。運賃(\7000)+手荷物(\2000)=\9000 では飛行機(鹿児島⇔屋久島\11700)に比べてあまりうまみがない。とりあえず切符だけ買うも次の便は13時、急に暇になる・・・そこで鹿児島ラーメンを食べに行くことにする。鹿児島市街は2度目なのだがどうも迷う。鹿児島は駅前≠中心街ではないからな。それでも中心街天文館通りにたどりつきくろいわラーメン。11時という時間帯なら人も少なくすぐ食べることができた。コンビニで今後の食糧確保をしてフェリー埠頭に戻る。切符を買うとき自転車手荷物はあまり歓迎されなかったが乗るときはそうでもなかった。屋久島フェリーは乗客から見える位置にデジタルの速度計がある。最高で81キロ出ていた。ぜひとも八重山の高速船あんえい号やニューはてるまにも付けて欲しいものだ。最前列でテレビの「男はつらいよ」を見ていたら酔い止め薬効果でいつの間にか寝て起きたときには種子島。そこからさらに先が屋久島。だんだんと大きな山のある島に近づいてゆく。宮之浦港で輪行をとくと観光案内所へ。そこで登山届を出す。宿泊情報を聞き20キロほど行った先の安房(あんぼう)にキャンプ場があると知ったのでそこまで行くことを決める。次にスポーツ店で登山靴を借りる。現在履いている靴でも問題ないかもしれないがSPDシューズの金属が気になるのと何よりも登山初心者なので借りる。途中300円の楠川温泉に入り安房のキャンプ場にたどり着いたのは日没直後だった。近くのスーパーは閉まっていたのでちょっと先の商店に行きボンカレーを買い夕食とする。この日は日中20℃ほどありあまり寒くなかった。明日の準備をして不安を抱きつつ寝る。いよいよだ。

3月17日 世界遺産

     
山道をゆく

翁杉
 4時半起床。不要な荷物はテントに置いていくことにしてできるだけ軽量にする。長袖レージャーレーパンの上にズボンを履きゴアを着て外に出て10分ほど歩きバス停へ。5時半というまだ暗い時間にバスに乗る。途中の道は明らかに急であり登山目的ならここはさすがに自転車を使わないのが賢明であろう。ましてや私は登山初心者だし。50分ほど揺られて荒川登山口へ。6時20分登山開始。次第に空が明るくなってゆく。廃線となった林業用のトロッコ軌道の上を歩いてゆく。川の上にかかる軌道はちょっと怖かったりする。40分ほど歩くとかつての小学校跡に出る。かつてはここに屋久杉を利用した製品の事業所がありそこで働く人の集まった集落ができ最盛期には500人ほどの人がこの山中に住んでいたそうである。しかし大量伐採と自然保護の流れによりやがて作業所は閉鎖しそこに住む人もいなくなってしまった。小学校跡には冬の校庭で雪だるまを作っている写真がありこの地域(標高約660m)の冬の厳しさを感じた。
スタートから2時間ほどで大株歩道入り口にたどり着きトロッコ軌道を外れ急に山道になる。場所によってはロープのお世話になる。岩場の道は足を滑らせそうで怖い。また場所によっては迷いそうになる。木々についている目印となるリボンを頼りに行く。2時間半ほどでウィルソン株。1914年にアメリカの植物学者ウィルソン博士が来日したのにちなんで名前が付けられた。中は空洞になっており中に入るとその大きさを感じることができる。さらに道は山へ。大王杉はかつて最大と思われていた杉であり夫婦杉は並ぶ二つの杉が手を取り合っているように見える。そしてスタートから4時間、ついに縄文杉と初対面。その歴史(推定3000年以上)からくる大きさに圧倒される。これが世界遺産なんだ。縄文杉を守るために数年前にテラスができそこから見るようになっている。そこで昼食。有名スポットであるのと日帰り登山コースの折り返し地点あるので人が集まる。何といっても晴れているのがいい!屋久島での晴れは期待していなかったのに(屋久島では1ヶ月に35日雨が降るという言われるほど雨の多いところです)。登るときはどのくらい時間がかかるか心配だったが標準ペース(片道4時間)で行くことができた。11時に下山開始。明るいうちの下山は余裕だ。その時間で自然散策コースに行ってみたり。けっこう休み休み下った。そして3時半に荒川登山口に戻る。天気のよかった空も次第に雲が出てきて4時には雨が降り出した。登山口駐車場のトイレ脇の軒下のベンチで雨宿りし5時過ぎのバスに乗る。乗客は3人ほど。運転手が「着いたら起こすから寝ていいよ」というくらいのんびりしている。日没前にキャンプ場に戻る。閉まる前にスーパーに行き買い物をし夕食はラーメンと屋久島揚げととりさしとりさし、何て危険な響きなのでしょう(笑) 雨が降っていて何もできないし疲れたので8時前にさっさと寝る。
ウィルソン株(右は内部より)

大王杉

夫婦杉
 
縄文杉

3月18日  翌日疲労


トローキの滝

中央の山々
 今日は島内巡り。島を一周したかったが島西側に迂回路無しの通行止め区間がありがっかり。そこで荷物をテントに置き適当な所まで行ってピストンということにする。トローキの滝は道端に小さい看板がありそれを頼りに脇道をゆく。落差が小さいことが特徴の滝。次は20分ほど登って千尋(せんぴろ)の滝。この滝の落差は80mほどあり迫力がある。かつてリポ××ンDのCMに使われたこともあるそうな。一周道路に戻り平内海中温泉は干潮時前後の2時間のみ利用できるのだが私が行ったときは海に水没中。まあ仕方ない。アップダウンと強風に嫌気がさしたので大川の滝はあきらめ戻って温泉にでも入ろうと思ったが屋久島温泉ホテルは月一回の清掃日、尾之間温泉は午後からでともに空振り。くたくたでキャンプ場まで戻る。旅行前は行くつもりはなかったがここにきて気になってきた種子島に行くことにする.。屋久島から種子島(西之表)行きのフェリーは安房港からも出ていたがレンタル登山靴を返すために結局宮之浦まで戻らなければならなかった。テントをたたんで荷物を積み宮之浦へ向かう途中おととい行かなかった俵状溶岩を見るために海岸へ一度下る。戻るときは当然登る。すると一周道路にも溶岩のかけらと碑を発見。無駄に体力を使ってしまった。

千尋の滝

平内海中温泉

俵状溶岩
先の無念を晴らすべくおととい行った楠川温泉へ再び。出るときはますます風が強くなっていた。走っていてたまに見える海は波が高い。フェリーはこれでも出るのだろうか?3時前に宮之浦に着き登山靴を返した後出港することを確認して種子島行きのジェットフォイルトッピー(1日4,5便)の切符を手荷物込みで5000円ほどで買ってから上屋久島町営フェリーの同航路(1日1便)が自転車をそのまま積めて2000円ほどだと知る。さえてない。出港まで1時間ほどあったので観光センターで食べたかめのて(屋久島近郊で採れる貝)ラーメンは薄口あっさり醤油スープのシーフードラーメンであった。店を出るとき切符を忘れそうになる。全くさえてない。観光案内所に下山届を出してからフェリーへ。50分ほどで種子島西之表港。これが最終便であり輪行をといている間に観光案内所は閉まる。そこで近くの売店に入り店のおばさんに宿について聞き取次ぎをしてもらい港近くの宿へ素泊まり。昨日の疲れが抜けきらないまま走ったため今日はばてばてだった。ほっかほっか亭で今日より発売のまぐろかつ弁当を買って宿へ帰り食べ、「人にやさしく」の最終回と「あいのり」を見て、種子島焼酎「甘露」を飲んで寝る(充電)。天気予報を見ると今日の桜島上空の風速は16m! 疲れるわけです。

3月19日 種子島と歴史


夫婦岩

日本一の大そてつ
  
千座の岩屋
  天気予報によると東京でも桜の開花宣言が出たらしい。しかし鹿児島では出ていない、不思議だ。ともかく今日は天気になるらしい。宿のおばさんが朝食に餅を焼いてくれた。8時半に出発し港の観光案内所に行き情報収集。まずは種子島開発センター(鉄砲館)に行くと島のことがいろいろわかるらしいのでとりあえず行く。種子島の歴史がよくわかった。島内には今もなお発掘が続けられている遺跡がある。古くからの歴史の展示の一方で2月に行われたロケット打ち上げ成功の写真があったりする。そして鉄砲の歴史に関しては詳細に解説されている。1時間以上館内を見ていた。海沿いR58を南下。交通量はそれほど多くない。しかしこのR58が海を経てはるか南の沖縄と繋がっていると思うと不思議だ。中種子町での昼食はWe'SNで味噌タルチキン弁当。買ってから寺原弁当(出身地宮崎の特産チキン南蛮他入り)の存在を知る。失敗した。日本一の大そてつを見てから東側に抜ける。千座(ちぐわ)の岩屋は波の浸食作用により洞窟が広がる。高い山がなく比較的平坦な種子島も南東部はアップダウンがある。その中に種子島宇宙センターがある。ほとんどの施設は関係者以外立ち入り禁止になっているが、宇宙科学技術館は無料で入れて、中にはロケット技術や国際宇宙ステーション計画に関する展示やコンピューターによる宇宙実験シミュレーション体験などがあり楽しく学べるようになっている。ぜひとも航空宇宙工学科の人には行って欲しいところだ。南種子八景の1つらしい豊満の池というのを経由して島最南端門倉岬へ。459年前ポルトガル人はここにたどり着き鉄砲を伝えた。日本の西洋文化との交流はここから始まったともいえるだろう。来た道を戻り途中で見つけた看板を頼りに南種子町の河内温泉へ。温泉の後はそこで夕食(充電)。閉まる30分前にそこを出て市街地に行き寝床探し。Aコープに行くとコインランドリーが併設されており、そのコインランドリーの洗濯機はすべて故障中で使われてないようだったので誰も来ないと思い焼酎南泉を飲んで寝る。
 
宇宙センター

豊満の池

鉄砲伝来の碑

3月20日 Re鹿児島

 起きたらまずR58を北上して中種子町。昨日行ったWe'SNでの朝食を試みるも開いてなくてがっかり。アイショップで朝食を買う。店の人に聞かれ自転車で周っていることを話すとお茶をくれるというのでありがたくもらうことにした。ただ商品棚から2L 爽健美茶を取り出し渡されたのにはちょっとびっくりした。中種子からは東海岸から北上することにしたがちょっとアップダウンがある。そんな中東海岸の見所らしい馬立の岩屋に行ってみるがそこへ行く脇道は海岸までひどく下る。そして見た印象は昨日の千座の岩屋の方がいい感じ。登って戻るのに苦労した。島北部にはあまり魅力を感じなかったので最短距離で西之表港に戻る。アイショップでから揚げカレー弁当をを買い食べおとといお世話になった売店で島内あちこちに看板が出ていて気になったりんかけ(黒糖ピーナッツ)を買う。時間はかかるけど安い鹿児島行きのフェリー出島に乗る。二等室の通路に洗面器が並んでいたのは何故だろう? 酔い止めを飲んで寝る。鹿児島着は18時。また天文館方面に行き今日は鹿児島のラーメンチェーン店和田屋本店に入る。やはりとんこつと思っていたが店の人に味噌ラーメンを勧められる。なぜ鹿児島で味噌ラーメン?と思ったがうまかったのでよしとする。意外な発見だった。温泉は近くの桜島温泉へ。入ったとき自分しかいなくてびびった。ここで洗濯もするが乾燥機の調子が悪い。結局別なコインランドリーにも入った。さて何処で寝ようか? とりあえず桜島フェリー乗り場に行ってみると単なる移動スペースになっている1階の脇にはすでに何人かの先客がいた。桜島フェリーは24時間営業なので閉められることはない。ということで先客に混ざって寝る。

3月21日 島シリーズは霧島へ

 6時に目が覚めると人は減っている。トイレを借りに乗り場のある2階へ行くと椅子を占領して寝ている強い集団がいた。今日の目的地は霧島。R10も桜島一周道路も通ったことがあるので今回は南海郵船の垂水行きフェリーを利用してみることにする。ただこの港が少し離れていて、あやしい雲行きのもと移動したらにわか雨に遭う。フェリーは37便もあるので使い勝手がいい。鹿児島⇔垂水35分。垂水についてもまだ雨。予報によると次第に天候は回復していくらしいのでフェリーターミナルでそれを待ち11時に出発。垂水はあちこちに飲用できる温泉がある。昼食はたまたま目に入ったもりやすラーメン。 道は左手に海、その先に桜島。福山町は酢の産地。昔それを運ぶ際のかめが割れたことにちなむ亀割峠を越え国分から内陸へ。4時に霧島神宮着。なんとなく神宮と霧島民芸村の高級家具を見てから無料の露天風呂に入る。いくつかある売店で夕食となるものを探すと焼肉食べ放題なるものを見つけて入る。


霧島神宮

露天風呂
1人でゆっくりテレビを見ながら食べている(充電)とサッカー日本代表のウクライナ戦が始まった。見たいのはやまやまだったが戸田が先制点を入れたところで店をあとにする(結局これが決勝点だった)。霧島観光案内所もなかなかよさそうだったが中心地であり、また向かいに交番があったので道の駅霧島へ移動。暗くなった中野宿場所を探すとトイレ近くに二畳ほどの広さの電話ボックスがあったのでそこにお世話になることとする。

3月22日 さむさむ


丸尾の滝
 高原の朝は冷えるものがある。山々には朝霧がかかっている。丸尾の滝は温泉の成分が混ざり写真のような色となっている。その先には霧島温泉郷があり温泉ホテルが並ぶ。登り始めてすぐ雨が降り出す。温泉郷のファミリーマートに戻り雨宿り。買うものを買って軒先にいると猫が寄ってきた。ついあんまんをちぎって与えてみた。食べた。しかし肉まんは食べなかった。弱くなったときを狙い登ってゆく。ほんの10キロほどの登りなのだが観光遊歩道前の木々の下、バスセンター軒下、登山口のトイレ軒下と3度きざむ。弱くなることはあってもやむことはない。弱くなっても走っているうちにまた強くなる。また途中には道路脇から二酸化硫黄を含む有毒ガスが出ていて休めないところもある。

霧島スカイライン

鹿

白鳥温泉展望場
そして着いたえびの高原は南国宮崎であっても標高1200mあり寒い寒い。観光センターで酒まんじゅうと日向夏をつまむ。駐車場には鹿がいた。そこを去るときに自分と同じ方から来るチャリダー集団に遭遇する。物好きはどこにでもいるものだ。そして下りは寒い寒い。残念ながら展望もあまりよくなかったり。

雨宿りに行ったえびの駅は無人の寂しい駅でがっかり。駅周辺に特に食事できるような店もない。スーパーでコロッケを買って食べる。雨はやまない。えびのから人吉へ抜ける道には予想通り休む店がほとんどない。それでもようやく体が慣れて動くようになってきた。・・・そんな矢先に今回初パンク。道脇で寂しく直す。気を取り直し再出発。雨なのでループ橋をゆっくり見ることもなくひた走り。人吉市街地に着いたとき先ほどの修理の際空気圧が低かったためであろう再パンク。押して駅まで行き温泉情報を仕入れる。駅前にもあったがビジネスホテルぽかったのでそのまま人吉温泉という名のところへ行く。登り、寒さ、雨で疲れなおも雨が降っていたので素泊まり宿を探すと温泉の数軒隣に発見。入って挨拶してみたもののなかなか宿の人は出てこない。やっと出てきたのは腰の曲がったおばあさん。2階の部屋に案内するのに階段登るのも一苦労の様子。そして雨に濡れた状態であがった私はあまりいい顔をされなかった。私は個別トイレのついた部屋に案内され濡れた荷物はトイレの方へ。トイレは汚くはないけれど・・・。コンビニRICで高菜チャーハンを買い食す。テレビは今時有料だったので見ることもなくさっさと寝る(充電)。

3月23日 よかとこ

 ゆっくり寝て多少体の方は回復。2日間雨に遭ったが今日は気温が低いながら天気がいいらしい。奥にいるおばあさんに声をかけ宿を出る。パンクを直しきついと噂の五家荘方面へ。相良村に入ったところでこの先の補給は期待できないと思い買出し。道はしだいに山の中へ・・・しかし思っていたほど道は悪くない。まっぷるにないトンネルがいくつもできていたりする。五木村の市街地に着いてから気付く・・・このR445は新道が出来ていてそこを通ってきたそうだ。正直私は「五木の子守唄」を知らないが子守唄公園に行く。唄を書いた碑がある。その横の茶屋に入り昼食。地鶏山菜そばとうに豆腐(豆腐の味噌漬け)を食べる。うに豆腐はまあまあだけどあまり多く食べようとは思わないなあ。相席となったおじさんが北九州から来てあちこち周っているような人だったのでいろいろ九州各地のことを話した。そして励まされて出発へ。ここから先はR445旧道。まっぷる解説「山が覆いかぶさってこそう」を実感する。さらに先に進むと道は一車線ほどになりヘルメットをかぶらないと落石が怖いところを通ることになったり。
R445より

子守唄の碑

五家荘緒方家

昇竜滝

梅の木轟の滝

梅の木轟公園吊橋

二本杉峠
五家荘は本当に山の中にある。そのうちの1つである緒方家に行く。 文治元年、壇ノ浦に破れた平家の一族は日向より由布院を経て、山賊の案内にて白鳥山に入り、源氏の追討を逃れた左中平清経は姓を緒方と改名。その子孫緒方紀四郎盛行がこの地に住みつき代々椎原を支配したことによる。入り口のところで受付のおじさんに料金を払うと一人私を案内してくれた。ポイントは2階の隠し部屋への吊り階段です。他のポイントはわかりません。二本杉峠へ向かう途中にある梅の木轟公園吊橋は橋長116m高さ55mの日本一を誇る吊り橋。ロープを使わずに(PC吊床版橋)つくられていている。橋を渡って5分ほど歩いたところにある梅の木轟の滝(高さ38m)は、その入り口が峻険な谷のため滝の存在は知られていたものの長い間幻の滝といわれていた。その後たらたら走り登り5時前に二本杉峠着。峠の茶屋に入ったらいきなりだごという謎のメニューを発見。値段が100円と安かったので頼んでみる。すると店のおねえさんは私に少しの間店番を頼み道の向かいの建物にそれを準備に行った。なんだかなんだか。5分後出てきたものは中にカライモとあずきあんを包んで蒸しただんごであった。お茶ももらいそれを食べつつ、熊本弁の店のおねえさんとしばらく話していた。その中でたびたび出てきた「よかです」って響きがいいなあと思った。温泉の場所を聞いてから下り始める。峠の北側は一車線で道が悪くこちらから登るのは絶対きついと思いながら下ってゆく。日没前に中央町に入ってすぐの佐俣の湯着。湯から出たときにはちょうど食堂が閉まってしまった。休憩所で8時まで休んでから寝床と食料探し。しかし道は暗い。あまり店は期待できない。小さな地元食堂に入る。私が食べているうちに地元の人達が集まってくる。酒を飲みだす。私もおごりで焼酎白水を飲まされる。そして話は盛り上がってきて夜も更けて・・・。12時前に店を出て私は地元客の1人の家へ連れて行かれそこの物置小屋(単なる物置ではない)で寝ることとなった。

3月24日 ラーメン馬鹿一代

 朝ご飯と味噌汁をいただき出発する。今日阿蘇方面に行けば九州縦断としては完璧なのだろうけど去年行っているのでそれはなし。ムーンライト九州狙いで北上する。ここ2日の走りはきつかったが今日は平地を淡々と。でもR3は嫌なので内陸R443→325とつなぐ。菊池市で熊本のラーメンチェーン店味千ラーメン。debuya特製ラーメンに引かれるものがあったがこの後のことを考えると量が多く断念。さまざまなトッピングがされた火山ラーメンにする。普通にうまいっす。そして午後もひたすら北上し久留米6時着。ある意味久留米でラーメン店を探すために自転車でずっと走ったようなものです。しかしこの町はなんか迷う・・・。コンビニで情報を得て行った潘陽軒は以外とあっさり味でした。店を出てからまっぷるがないことに気付く。店にはない。不慣れな町を探し回る。そして先程行ったコンビニにて発見する。探すのに時間をかけたためムーンラートは絶望的。そこで明日1日かけて臨時大垣夜行に繋げることにする。すると途端に時間が生じる。せっかくだから福岡まで行くことにする。しかし夜の3号線を走る気はしないので電車移動。せっかくだし安そうな西鉄で。関東私鉄共通カードをパスネットと言うのに対し、福岡の私鉄バス共通カードはよかネットでした。手荷物料金取られたもののそれでもJRよりも安く福岡へ。天神に着いてから明日早朝みどりの窓口が閉まっていたら困ると思い、結局まず博多駅に行ってしまった。そして18切符を買う。昨春、昨夏に続く3度目の博多。そろそろ違うものを求めようと今回は長浜屋台へ。焼きラーメンといってみる。焼きそば風です。一緒に頼んだビールが実は瓶だったため参った。日が変わってから7℃の環境下天神の地下道入り口の階段でひと寝入り。2時半に起きてやはり天神といえば一蘭へ行く。・・・食った食った。博多駅に移動し始発を待つ。

3月25・26日 18きっぷ大作戦


瀬戸内の島々

尾道大橋

明石城
 夜の博多駅にはけっこう人がいた。ただトイレが夜間使えないのは不便であった。まだ暗い中始発に乗る。即寝る。小倉での長めの停車で目が覚める。ホーム向かいのごつい感じの山陰ディーゼルカーに乗り換える。関門トンネル通過し下関で乗り換え。山陽シティライナーは乗り換え無しで下関から岡山まで行ける優良鈍行。

この区間なら朝ラッシュもそれほど混むことはない。防府〜広島は昨夏走って知っている区間。過去の記憶がよみがえる。あの日は暑かった。10時に広島で一度降りお好み焼きを食べる。餅入りはけっこうボリュームがあった。再び山陽シティライナーに乗り岡山へ。途中の停車駅で降りたおじさんがスポーツ新聞をくれた。知らぬ間にプロ野球オープン戦の阪神は絶好調だったらしい。また尾道〜大阪も知っている区間。あれからちょうど2年。姫路で乗り換え初めて乗った新快速の速さに驚く。鈍行列車と行ってもこの区間は速い。京都まで行き食事下車。駅前の新福菜館へ。ラーメンだけでなくヤキメシもうまい。地下街ポルタで京みやげを眺めてから再び電車に乗り大垣へ移動。しかし8時半着はちょっと早すぎた。駅前の店でパンを買いそれを食べつつ少し寒めのホームで2時間臨時大垣夜行を待つ。品川発のものに乗ったときはひどく混んでいたが大垣発では余裕で乗れた。寝るのに都合がいいように入ってすぐの席を確保。決して快適ではない車両で意外にも熟睡。疲れているなあ。そして日が変わった6時前にようやく都内某所に戻る。出発の日が昨日のことのように思い出される・・・なんてことはないほどに長かった旅行はようやく終了したのでした。



あとがき
 今までひた走りの多かった自分にとって100キロを越える日が一日もない今回のスタイルはかなり異質だった。しかしそれもいいと思った。島巡りのおもしろさを感じた。ただ島巡りはお金が・・・最後は飛行機で東京戻るつもりだったのに・・・。また、全県制覇という目標はなくなったものの、自分は走るのが好きなのだと感じた。・・・まだまだ走るさ。そして・・・沖縄いいさー!


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