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3月2日 かけろま


アカウルメ

カツオみそ ゴーヤ茶
アオサの天ぷら

加計呂麻島
 前日のカレーラーメンのスープを使いご飯を炊くような極貧朝食を済ませる。3日目にしてようやく晴れた。フェリーの時間に余裕を持って大島の南部、港のある瀬戸内着。そろそろ奄美の島じゅうり(料理)っぽいものを食べたいと思ったのでAコープに入ってみるもののいまいち。豚足はあるんだけどね。地図で見つけた総菜屋に行ってみる。そこでご飯系?のものとアオサの天ぷらを買う。お土産やにも入ってみると先ほどのご飯系だと思っていたものがカツオみそだとわかる・・・この後食べたのだが1人では量が多く早々に飽きる。

加計呂麻(かけろま)島へはフェリーで30分、加計呂麻には2つの港がある。そのうち次発の行き先であった瀬相行きに乗る。情報収集をしないまま島に渡ったのが失敗だった(私は加計呂麻の地図さえ持っていなかった)。港だったら観光案内所でもあると思ったら瀬相港にはなかった。フェリー乗り場に案内図でもあってもよさそうなのにそれもない。乗船発売所の人に頼んで地図を入手する。そしてさあどこに行くか?となるのだが・・・こっちの港周辺はあまり見所なさそう。島のもうひとつの港に渡った方がよかったなあ。とはいえ島を一周するだけでもけっこういいということを聞いていたのと瀬戸内に戻る最終フェリーはこちらの港発なのでもうひとつの港周辺を通りつつ島一周(というか半周)をすることにする。まずは港に近い島尾敏雄の文学碑を見に行くのだが・・・大島と同様、この島も平坦ではなくちょっと苦労。

 さて、ここで島尾敏雄氏について。氏は先の大戦末期、昭和19年にこの島に特攻隊としてきて基地を作り出撃を待ち、昭和20年8月13日、ついに出撃準備の指令が下る。しかし出撃はないまま終戦を迎える。死と向かい合わせに過ごした経験は彼の文学に影響を与え、戦後発表された文学作品は数々の賞を得たとされる。また「ヤボネシア論」を発表し、日本全体を「ヤボネシア」と表現し、その根っこに当たるとされる鹿児島と台湾の間にある奄美や沖縄の人々がその純粋な形を保っていると考え、この考えは沖縄返還をめぐる運動に影響を与えたとされます。文学碑の近くにはその基地の跡も残っている(中は崩落していて奥の方は見ませんでしたが)。

 ここからもう1つの港生間までは10数キロあるのですが特に見所無し、買出しできるようなところも特に無し。港についてやっと食糧にありつく。この港にしてもあまり周辺に集落がない。そして港の売店の人のコメント「加計呂麻はどういう島?かといえばコンビニも信号も無い島」…うーん、沖縄の離島に行っているから驚くことでもないけど見所コメントしてよー。1日3便の港の待合はのんびりしていた。そこから30分、奄美3日目にしてようやく観光ポイントらしきところ、安脚場(あんきゃば)へ。かつてはここに海軍の基地があったそうでいくつかの倉庫跡が残り、また高台から遠くを見渡せる。


加計呂麻のある海岸で


島尾敏雄文学碑

特攻基地跡

弾薬格納庫

金子手崎防備衛所

天水槽(貯水池)

弾薬庫

防備衛所内部
  
安脚場展望台より
 ここから林道を通り島の反対側へ。南の徳浜海岸は映画「男はつらいよ」のロケ地。この後今度は島の南側の道を通り瀬相港へ戻る。北側の道路と同様に山に登ったり海に下りたりの道。でも南側のほうが集落はある。途中デイゴ並木があったけどこの時期だからあまり関係無し。港の西側も少し気になったが明日の予定に余裕を持たせるのと食事のために最終便で瀬戸内に戻る。  
徳浜

デイゴ並木

加計呂麻南部の海岸から
 そして郷土料理屋へ。定食には豚角煮、イカスミご飯、イカスミ汁、パパイヤのつけもの、ソテツのでんぷんを使ったようかんといったさまざまな料理が並ぶ。さらに油ぞうめんも注文しておなかいっぱい。銭湯は日曜だからか開いていない。野宿をしようとしたその近くの公園は小さい町ながらも町の中心部だからか以外と人が来る。そこで港に移動してみる。港の待合は閉まっている。海沿いを走る。そして見つけた公園。ここにも人がいたけどさっきのところよりは静かそうなのでここに落ち着く。ベンチに座り「瀬戸の灘」を飲んだり、その辺にいた猫に朝買ったカツオみそをあげて遊んだりしてから寝る。
白くま(鹿児島特産のアイス)

油ぞうめん

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